一人でいるときも 孤独では有りません
今まで病院や学校や仕事などで、長い道のりを車で走ることが多かった様に思います。
免許を取りたての頃は、「交通安全」を確保することに集中して、他のことを考える余裕はないでしょうが、ある程度通行の流れに慣れてくると、もちろん安全に通行するための努力は当たり前なのですが、「自分の車」を動かすに至るまでの間には、実に多くの人が関わっていることに気づくことでしょう。
まず「こんな車を作ろう」というコンセプトを持って設計され、より魅力的な外見を創るために外装を整える方々がいて、安全を確保するためにそれは何度もテストされ、心を惹きつけられるようなコマーシャルを、作るためのチームによって市場にデビューし、そこで初めて「そのクルマ」に惹かれた方々が、それを手に入れる決心をするに至ります。
その後も車は必ずメンテナンスの技術者を必要とし、安全なタイヤを取り付ける方、ガソリンや電気などの「燃料」として用意する方々のお陰で、用事のための目的地や美しい景観に感動できるような場所や、あるいは理由もなく、ただ何となく走らせたりも出来ます。
走る道路もメンテナンスが必要で、工事中の通行の安全を確保するため様々な方が心を砕き、経験則や知識を駆使して信号の位置や、「矢印信号」の長さなどを決定し、私達は初めて「そのクルマ」を安全に走らせる事が出来ます。
本当に多くの方々のお陰で、「交通」が成り立っているのですね。
クルマという金属と樹脂(プラスチック)、ゴムやビニールなどの集合体に乗り込みアスファルトを駆ける時、たとえ無機的に感じる空間でも、時折人生の様々な環境や出来事、またそれに依る感情の起伏の故に、人間としての涙は出ます。
例えば人間関係などの不備のもとで、孤独の寂寥感が私達の心を追い詰める日々があったとしても、車は決して無機質では有りません。
イグニッションを回す時に、私達に流れ続けている血流が、車にも通い始める気がします。
人の手で創られたクルマのマーケティング力、デザイン、機能、整備、タイヤの回転によって進む目的地への道は、全て人の志で創られています。
それ故クルマは、人々の志の集合体でもあります。
ドライバーズシートに座る時は、「自分一人の世界」だけではなく、すべての技術、知識、感性、志がそのクルマを走らせているということを、心の何処かに残しておくべきではないでしょうか。
皆様の交通安全を、心よりお祈りしております。
今日も読んで頂けましたこと、感謝申し上げます。
画像は青森港での「クイーン・エリザベス号」です。
舳先が青森向きでしたので、船の反対側の救命ボート(?)が見えました。
船の反対側は、また全然違った雰囲気ですね。
今日のフィーリングは、久保田利伸氏の「朝陽の中で微笑んで」、元ちとせさんの「語り継ぐこと」、Al Di Meola アル・ディ・メオラ氏の「ミッド・ナイト・タンゴ」かな